ここ数時間で一気に記憶が溢れかえって
点と点が繋がったような気がする。
私の不安の大元は、恐らくミラーリング不足。
自分の不快の感情を小さい頃、ミラーリングして貰えなかったことが多い。
不快だったという気持ちが、ミラーリングして貰えなかったプラス、それが解消する方法もセットで学ばずに今まで来たんだと思う。
例えば
小さい頃叔母の膝に座ってて、私は衝動的に立ち上がったんだよね。そしたら叔母が大きな声で「痛い!!」って叫んだの。叔母の顎に私の頭がクリーンヒットしたのよね。
すごい怖かったのよ。
叔母に怒られた訳でも無く、責められた訳でも無く、悪いことしたっていう罪悪感と大きな声が怖かったがすごい残ってるの。
同じ時期だと思うけど、
家族とその友達とハイキングして、帰りの途中で通ってる小学校の校庭で遊んでたんだよね。
その遊具というか謎のオブジェ?は
乗り降りできるようになってて
私は熱中して乗ってたら下りれなくなってて
親に助けてもらおうとしたら、すでにみんな校門出てたんだよね。
めちゃくちゃ焦って叫んでも聞こえてなくて
ワンワン泣きながら遊具を必死に降りたんだよね。
走って家族に追いついても
そんな目にあって辛かったっていえなかった。
そういうのが、たくさん芋ずる式に出てくるんだよね。
今なら言語化出来るものばかりだけど、不快の気持ちを言語化出来なくて、更にそれの対処方法も学べなくて、怖かったもの辛かったものたくさんあるわ。
そういうものがたくさん積もっていって
私は不快の感覚が掴みにくいのかなぁとは思う。
親に甘えられる環境ではなかったのも大きいけど
こういう要素も大きかったのかもなぁ。
んで、そういう嫌な記憶の中でもクラスの女子にハブにされたのは私の中で強烈にぶっ刺さっていて
人に話しかけられる=対応を間違えちゃいけない
が強く出てくるのかもしれない。
断る=私の評価がさがって無視される
という感覚が瞬時に無意識に出てくるから
断ることに罪悪感が半端なくなるのかも。
だから漠然と「怖い」に繋がってるのかもー!!
あー!線になるのあともう少し!!