思考を垂れ流したい~Twitter依存からの脱出計画~

思い付きではじめるからすぐにやめるかもしれない

あの気持ちはどこから来たのか

数か月前に

不登校支援してるとある人に

これから先の選択しについてどうしていけばいいのか。

使えるサービスや福祉的支援についてないか。

どうやって手を放してくのか。

 

みたいな相談をしたのだが

 

私が子どもの人生を諦めている

子どもの人生なのに私が勝手に先読みして心配している

転ばぬ先の杖を用意しすぎている

 

と思われたようで

 

「転ばしてしてください。親が勝手に先の準備をしないでください」

 

みたいなことを言われた。

 

 

それは定型発達の子ならアリだけど

うちはASDで場面緘黙(社交不安障害の1つ)だから

何にも準備しないで失敗させたら長い年月引きこもるんだけど!?

 

と、ちょっとイラっとした。

 

 

その人の支援の根本に

子どもの問題は親の過干渉や過保護があって

子どもが発達障害じゃないのに発達障害にしたがる。

 

と、思っている節がある。

 

 

それは私も感じてることあるし

スペクトラムというだけあって

それっぽくてもうまく社会で生きている人もいるし

診断要らない人もいるのは重々承知である。

 

短い時間だったからしょうがないと思ったけど

それでも相手を否定せず傾聴共感するのが基本だと

福祉職をしてきた私は研修やら上司から

学んできたから違和感を感じてしまった。

 

 

それに、私の生育歴や価値観等を知らずに

自分が聞いた話の一部でイメージを作って

決めつけるのは支援者としてよろしくない。

 

 

と思ったのである。

 

 

思い出したらイライラしてきたから

この気持ちがどういうところからきてるのか書いてみたけど

職業倫理的にアウトー!!って思ったんだ。

 

 

イラっとしたというか

わたしだけじゃない人もいる場だったから

大勢の人が居る前で否定されて

辱めを受けたって感覚もあった。

 

 

人が居る場での対応って大事なんだけどね。

その辺もなんだかんだで素人なのかもしれない。

 

 

職業ごとに倫理綱領があるからそれは定期的に見直すことをおススメしたい。